スワンリバーデージー
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喜と、弩は無しで哀楽が押し寄せたようだった
2008.9.14


とうとう祖母を訪ねることができた。

ここは大阪外れの山あいにある老人ホームだ。
実は家族としか来たことがなくて、道に迷いながらたどり着いたのだった。


前日驚いたことがあった。
施設の職員の方に、歌っても大丈夫なのか確認の電話をした時のこと、なんとそのあと祖母が電話にでたのだ。


なんてことはないと思うでしょうが、実は2年前に訪ねた時は、僕のことがわからないようで会話すら出来なかったわけです。
兄が連れていった第一子に夢中だったこともあるかもしれないけど、でも誰が誰かということははっきりわからないようでした。

しかしこの時電話に出た祖母は、僕の名前をはっきり言い、受け答えもしっかりしていて元気だった。
明日、歌いに行くよと伝えると、楽しみにしてます。っと「して」にアクセントの付いた関西弁で答えて、職員の方に電話を代わったのだった。
半ば、自分のことはもう思い出せないだろうと思っていて、でも何にもしてあげてないから、わかんなくてもいいから、せめて歌だけでもと思って決めた訪問だった。
だからとにかくこの電話は驚いた。



案内されて広い部屋に入ると、祖母はすぐ僕を見つけて笑った。


昼食の後だったようで、他にも十名ほどくつろいでいた。

僕としては、個室で歌うおうと思っていたのだが、職員の方の提案で、みなさんの前で歌うことになった。


その準備の間、陽の当たる廊下で祖母と話をした。

自分で前より元気になったと言っているだけあって、昔のことも良く話す。

歳を聞かれて答えれば、あんたもええとしや。っとつっこまれる始末。

何から話せばいいのか分からなくて、伝え方も僕は下手で、でも話ができてよかった。
考えたら、祖母とふたりきりで話す機会など、今までにほとんどなかったのだ。
家も大して遠くもないのに、なんと祖母不幸ものだ。


昔、東灘の時に、父親と数回訪ねたことがある。
覚えていないだけで、実際はもっと沢山行っていたかもしれない。
その時はいつも、幼い自分を連れて、近くのスーパーに買い物に行ってはおまけの付いたお菓子を買ってもらった記憶がある。


そんなの以外にも充分かわいがってもらっていたじゃないか。



準備が出来たその部屋は、先ほどとは違う景色に見えた。
用意された椅子に向かって、静かにみなさん待ってくれている。


祖母は、その扇形の中心にいて、にこやかだっだ。
歌っている最中も目が合うと微笑んだ。

とても喜んでくれて、歌い終わるとその部屋はさっきよりも明るく見えた。

帰り際、少しだけ話をして、お土産にと渡したプリンを、あなたが食べなさいと言って僕に持たせた。

部屋の曲がり角で振り返れば、もう一度手を振ってくれた。

また来ることを約束した。


出口までの廊下、なんだか訳も分からず涙がでてきてしまって、うまく顔を合わせられずに職員さんに挨拶をして、
老人ホームの玄関をでると、ただただ泣いた。


歌を喜んでくれたこと、なんにもしてあげてなかった自分のこと、たくさん過ぎた月日のこと、自分を覚えていてくれたこと、瓦礫の中で奇跡的に生きていたこと、そのほか思いつくことが一気に頭の中を流れた。

そして本当に来れてよかった。




人間はいつか歳をとる。
あっちこっちが不自由になる。
それは誰にも止められないさだめだ。
その時自分は何を思うだろう。
何を喜びと思うだろう。
何を悲しみと思うだろう。



祖母は今年で94歳になった。
歩けはしないものの元気に生きている。
僕も負けじと頑張っていきたいと思いました。

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